小寺雅夫著

四六判220頁・定価 本体1,800+税 円
SBN978-4-86327-027-5 C0021/2008年8月15日発行
2008年10月10日2刷/2010年12月25日3刷改訂


【著者】こてら まさお
昭和31年生まれ。昭和52年成蹊大学入学。その後国鉄に入社。現在JR西日本勤務。
目次  (*)印は改訂版にて追加

はじめに 一、松平武聰と浜田藩 松平武聰公の生い立ち 右近将監家 当時の国情 二、浜田城と城下町 浜田城下町 浜田城  構造/歴史/家臣 当時の武士の生活 三、藩の財政と文化 藩の財政 倹約令 殖産興業  鉄/銅/長浜人形/石州陶窯 その他の諸施策 倹約下の参勤交代  格式と装備/参勤交代の道程 三人の補佐役  河鰭監物/野島左仲太/河上甚九郎 文化  諸芸/藩校 武聰公の国家観 四、長州戦争 長州藩との交流 長州藩の軍備 長州戦争  奇兵隊/石州口の戦い/不幸重なる武聰公 (*)寿子の悲壮な決意と益田口の戦い  益田口の戦い (*)浜田城退城前の各人の駆引き  大村益次郎 自焼退城  尾関長門/生田 精/寿子の手紙 五、退 路 松江から鳥取そして作州へ 鶴田藩の設立 六、鶴田藩時代 道学館 鶴田騒動 鳥羽伏見の戦い (*)勇猛果敢だった伊藤梓 上野戦争 維新前夜の活動 七、版籍奉還 藩主と藩邸 藩士とその家族 江戸移住 継承者 参考文献 あとがき

「はじめに」より

 私は浜田に生まれ浜田で育った。幼少の頃から、何故浜田藩の最後の藩主である松平武聰公は、長州藩に負けるからといって城を燃やして逃げたのか、又、何故最後まで戦わなかったのか疑問に思っていた。その謎を解くために、武聰公の一生と武聰公の築いた業績と武聰公を取り巻く激動の世相を調べる事にした。

 そこで浮かび上がった事実は、悲運の情勢の中で悲劇のドラマを展開しながらも、賢明な才覚を発揮して、藩政の高揚を実現された知将ぶりであった。優秀で華麗な家系に生まれながらも、窮乏し赤字財政の続く浜田藩へ藩主として送り込まれ、多種多様な倹約令の発布と高津川の治水工事や石見半紙、養蚕業を皮切りにした殖産興業の推進で財政を再建し、 尊皇攘夷か倒幕かという幕末の混乱した時代の中で、英国製の銃と砲で装備し洋式戦術を駆使して侵攻してくる長州藩に壊滅させられた浜田藩を率いて、 飛び地である作州へ逃げて鶴田藩をつくり、廃藩置県後は東京で静かに余生を送った武聰公の四十一年という短くも激動の一生には感動させられたのである。同じ兄妹でありながら、 兄の十五代将軍である徳川慶喜公や弟である十一代水戸藩主の徳川昭武公の華やかな人生と違って、悲運の一生を送らなければならなかった生涯一人の男の人生とみたとき、 涙を禁じえなかったのである。ここに武聰公の人間像と生涯の軌跡を描き、遺徳を顕彰したいと思う。